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全国裂織ニュース23号
「サキオリ」という言葉はいつから |
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町には大きな川が流れ、陸奥湾に注いでいた。川の上流、下流沿いに集落が営まれ、海辺の私が住む町とは言葉も生活習慣も少し異なっていた。私はその川沿いの村にもアイヌ厚司が遺されているのではと思い尋ねてみた。すると姥が「厚司はないが、昔こんなものを着ていたよ」と、麻の着物を見せてくれた。麻布の短着で、「サキオリ」と言った。また麻の腰巻を見せて、「これもサキオリだった」と言った。私は不思議に思い、「何故サキオリと言うのだろう」と姥に問うと、「麻をサグからだ」と話してくださった。 私はその頃、麻を裂いて糸にし、機にかけて布を織るということを知らなかったが、村や町の人々が麻を植え、その麻を使って荷縄に縒ったり、下駄や足駄の鼻緒にするのは祖母がしていたので知っていた。また麻糸を「アンジョ」とも姥は言っていた。そして木綿の縫い糸は「カナ」、網等を作る細い糸や太い糸を「メンシ」とよんだ。子供達が冬に飛ばす凧糸は綿糸(めんし)だったので、メンシは親しみのある言葉だった。それに対して、アンジョは聞き慣れなかった。古老にそのことを聞くと、「大事な物はアンジョだ」と云った。海辺の町ゆえ木綿糸が手に入らない頃は、網を繕う糸は麻糸だった。麻を栽培して糸を作り漁網にしていたし、延縄(はえなわ)の釣り糸にしていた。後々のことであるが、私の住む町では、木綿布を引き裂いて緯糸にし、経が麻糸の長着や短着の「サキオリ」「サグリ」を見たことがなかった。青森県津軽半島の海辺の集落には「サグリ」が数多くあった。日本海交易で古手木綿が入って来たので、その布を引き裂き、衣を作っていたのである。これらの「サキオリ」は、地域によって名称が異なる。また、古手木綿を引き裂き緯糸にしたり、麻や藤、苧クズを入れることもあり、多様な仕事着が作られていた。一般的には「サキオリ」と云わず、「サグリ」と呼ばれている。 では、今「サキオリ」と呼ばれている「裂織」が、いつ頃からあったのだろうか。青森県内では江戸時代、旅行者である「菅江真澄遊覧記」で有名な方の記述を見ると「女は裂織といって麻苧の糸をたてぬきにした毛布のような厚織を織った」とある。また「奥民図彙」(おうみんずい)の作者である比良野貞彦氏によると、寛政元年(1789)頃に津軽半島の先端にある「宇鉄、三馬屋あたりの猟師かくのごときものを着するもあり、これは松前にて漁人の着するもののよし、其地はアツシと云う木の皮にて織りたるものなり、又サキオリと云うもあり、サキオリは麻を細くさきて織りたるなり」とアイヌ厚司を描いた一枚の絵図が遺されている。今から200年余り前には、麻を裂いたもので織った衣をサキオリ(サグリ、サッコリ)とし木の皮(オヒョウ)で織ったものは厚司と、区別しているのである。 そうすると、古くはサキオリは麻を細く裂いて織ったものだったのだ。50数年前に、麻の短着を「サキオリだ」と見せてくれた下北の姥の話は、納得がいく。私に渡した麻のさきおりの短着の裏に縫いつけられた古手木綿は、後々につけられたものであろう。そこで私は想いだしたことがある。
祖母(明治10年生まれ)が、私が少年の頃に話していたことである。「着物(麻)に格好つけて染めた木綿の裏をつけた人が背中に染色がついて笑われたし、その言葉が盆踊りの唄になった」と言っていた。今、祖母の残したテープを聞き返すと、そんなことを話している。当時の下北の人々は、麻布を染めることも、染色された木綿の布を身につけることもなかったのであろう。それに引きかえ、江戸時代に日本海側の津軽地方では麻布を紺に染めているし、太平洋岸の青森県南部地方では麻布を浅葱色に染めた仕事着を着ている。 昭和32年に、下北の一人の姥(明治9年生まれ)を調査した記録が残っている。「衣服作りは、若い頃は麻布の仕事着を作った。麻布を織るのは座る機だった」といっており、「麻布衣の背中にアイヌ模様をつけていた」とも話している。「それらを『アツシ』と呼んだ」と言う。
今、私は下北の姥からいただいた麻布衣の短着を傍において思う。文献上に表れる「麻を裂き織りたるもの−サキオリ」こそ、この衣であろう。そして私の知る限り、現存する唯一の麻の「サキオリ」でなかろうか。故郷、下北では家の周りを板で囲うが、それを「サクリ」と言う、それこそ「板サクリ」である。針葉樹の杉、ヒバは割れやすい。私が子供の頃、家々の屋根は柾(マサ)葺きだった。ヒバ材を薄く割ったものである。山小屋、浜小屋は長い杉柾だった。木を薄く割り殺(そ)ぐ。殺いだ材で家の周りを囲み、家の柱や土台は栗材だった。割れやすい杉、ヒバは製材用のノコが普及されぬ頃は鉈(なた)を使っていた。刃物で木をサクことで出来たものをサクリ材と呼び、それを家の周りに打ちつけると「サグリ」になる 麻を細く引き裂いて作った衣を「サキオリ」「サクリ」、木を割り引き裂いた、家を囲む板をも「サクリ」と言う。「サク」というのは、言葉の響きとして実に悲しい。「絹を引き裂くような女の悲鳴」という言葉がある。麻であれ木であれ、引き裂くことは辛く、悲しいことだったが、それを引き裂かねばならない人々の暮らしがあった。そして今なお、多様な布を引き裂く「裂織」がある。裂織の作り手達は、その悲しき布の声をきける、心やさしい人達だ。 (北海道・東北民具学会会長) |