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全国裂織ニュース22号
裂織とは、マイナスの物作りと、 |
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風土があり、気候があり、生き物が生まれる。植物が生まれ、 動物が生まれ、人が生まれる。 人は体毛や草皮を合わせ、不織布をつくり、紙を作り、 フェルトをつくる。 繊維をねじる、撚る、綯う、績む、縒る、紡ぐ、それらは 糸になる。 糸を組み、編み、織り、布になる。 布は敷く、かける、仕切る、覆う。 そして物を包み人を包み、赤子を包み、産着となり、婚姻衣装となり、臨終を迎え 死装束となる。 風土が布になり、あらゆるものを包む。 物を作ることは、プラスしてゆく作業のように見える。 しかし、物とは、「生まれ、何かになり、消える」ということを繰り返す。
そして、ある日、私は、もしかしたら、すべての事柄は、 引き算をするために、生まれてくるのかも知れないと気付いた。 人は歳を“とる”という。 しかし、これは、得るという“とる”ではなく、 減らすという“とる”という意味なのではないか。 人生は生まれたときからマイナスが始まり、どの様にマイナスをしてゆくかが、 その人となりの生き方であるように感じた。 昨日よりもより良いマイナスの為に何をするのか・・・。 今日は何をマイナスして明日に残すのか・・・。 そして、明日は、どの様にマイナスしたものを更に生かすのか・・・。 物事は、プラス・マイナス“0”に成った時に、ある意味、完成ということになるのかもしれない。 その完成とは、各人が異なる大きさと意味を担った役割を果たせたことである。 例えば、ある人は、生まれたときに与えられた仕事を上手くマイナスでき“0”になる。 それは、行商の人で言うならば、たくさんあった売り物が、すべて人手に渡り売れた状態で、 さあ、家に帰れるぞ!という晴れがましく、嬉しい日、その日の為に人は、 マイナスを日々重ねているのだと考えたことがある。いまもそのように感じることが多い。 どの様にマイナスをするのか。 この問いは、衣服造形を役割とした私には、どの様にマイナスの造形をできるのかということである。 「裂織」という技術は、織り上げた布を、マイナスすることをいう。 裂く、切る、破く、別ける、ちぎる、上記したいわゆるプラスと思われる造形物をマイナスしてゆく、 それが裂織という仕事である。 裂織は、先人がマイナスしてきた布を使う。色々な役割を終えた “0”(ゼロ)となった布である。 それを次に手にした人の新たな役割と共に、新たなマイナスが始まる。 いい仕事である。 「裂織とは、“0”(ゼロ)の布」の仕事である。 技術は、造形にとり重要な要素となる。 そして、それと相まって個性、人をあらわすのは、思想であり、考え方である。 考えと、技術が一つになった時に、その人の形が、人の目に触れる形として現れる。 表現とはそのことを言うのだと思う。 俗に言う「何かを作る」のと、「何かを表現」するのとは異なると感じる。 いわゆる「作る」とは、何も思想や考え、思考が無くとも手を動かすこと でも出来上がる。 よく、大芸術家の絵と子どもの絵が比ゆとしてつかわれるが、その差に 似た大きな差が有る。 子どもは、何も考えなく作ることで物が出来る。 大芸術家は、多くの技術、思想、葛藤など体験した後の、 無心をいい、そこには、有心の無心とでもいう深さがある。 どの様にプラスして、物を作るかではない。 どの様にマイナスして、表現できるのか。 それは、人が培ってきた各人なりの深さや、思想や見識を自分で再認識 することで始まる。
美術、工芸、デザイン、暮らしの用具など、「 実用/非実用 」の 差はない。 何かを作るとは = 考えることであり、 人それぞれが歩んできた経験や思考に基づく、 その人それぞれの独自な考えを、見つけることでもある。 それは、遠くにあるのではなく、自分の足元に在る。 考える深さが、物に深さと意味を与える。 私は、そのような領域からの発言として、今日的な「裂織の表現」を見てみたいと思う。 私は、1993年に北極圏グリーンランドに3ヶ月滞在した。 20代に多くの地域を旅していたし、 その3年前には真冬のアラスカでマイナス50度を体験もした。 しかし、それでも埋まらない自分の“心”があるような気がして、 子どもの頃からの夢であったグリーンランドまで行った。 数週間も1人だけで歩き続けた。
誰にも会わない道のりを、自分独りで歩いていた。 そして北極点から1300kmぐらいの小さい村に行き着き、 何気なく陽だまりで北極海を見ているときに気づいた。 それは、それまでにどの国や地域に行っても見つけることが 出来なかった 「生きるとは何か」という一つの答えでもあった。 それは風習や言葉、慣習や民族が異なっても皆同じように、 幸せと明日への希望を願っていた人々の姿であった。 私が求めていたものは、果てしない最果てにあったものではなく、 私の足元にあった。 「生きるとは日々の幸せを願う」という事である。 その時に、私が何かになったのでも、変化したのでもなかった。 ただ私が、私に気づいたような気がした。 北極の海は、限りなく澄み渡っていたように思う。 (衣服造形家 第4回全国裂織展審査員)
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