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全国裂織ニュース22号
麻布から木綿布、 裂織の誕生 |
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| ‘立つ’ドンジャ 「投げれば立つよなドンジャ着て」という言葉が遺されている。ドンジャとは夜着のことである。丹前状で袖がつき、長着物でもある。ドンジャの表には裂織の布を当て、裏には麻布のすり切れ弱った小布を幾重にも重ね刺ししたものを使い、厚々としている。麻布に混じって木綿布も継ぎ足している。本来の夜着や丹前は、表、裏ともに木綿布であり、中には綿が入り、軽くて温かいものである。ところが投げれば立つよなドンジャには、綿が使われていない、ボロ、ボロ布が重なり合っているから、ドンジャが立つのである。
‘寝具’ 老いた夫婦の寝所は別室だが、若い夫婦の寝所は台所の隅にあり、二畳程の広さがある。室には稲藁が厚々と敷かれ、その上に麻布や古手木綿のすり切れ弱った小布を継ぎ足した布が敷かれる、今のシーツである、敷き布団はない。 夜になると、父の傍に男の子、母の傍に女の子と、七〜八人の子供が素っ裸になり、父と母に素肌をつけ寄せ合って眠る。当然ながら、父も母も素っ裸である、犬や猫が子供を抱き寄せて眠る姿と同じである。何故、素肌になるのかと、現代の人々は訝しがる、人が肌を寄せ合い、抱き合って眠ると温かいのである。またシラミが多くて、体に衣をつけて眠れなかった。 そして現代なら掛け布団がある。その代わりとして、厚々としたドンジャか、裂織を表、ボロを裏とした一枚の掛け布団状のものを掛けて寝る。寝所には明かりがない。室の隅に二十センチ四方の小窓がある。夜が明けたのを確かめる、小窓である。ガラスでなく、和紙が張られている。 老いた夫婦、祖父母の室には、麻布で出来た布団皮の中に稲藁が厚々と入った敷き布団が敷かれる。シビ布団と言う。稲藁の柔らかい皮の部分をシビと言うのでその名がある。寒気が厳しい夜は、ボロ状の掛け布団だけでは寒い。日中に着ている衣類もかけていた。 さて、ドンジャである。私の手許に、表、裏が麻のボロ布で、中には麻クズが厚々と入ったドンジャがある。一人では持てない程の重さがある。また表、裏に麻糸で縞織りにした布を使い、中に麻クズを入れた厚々のドンジャがある。 自給自足を強いられた山村から そして、表に木綿布の裂織、裏に麻のボロ布を使ったドンジャがある。この裂織のドンジャが作られたのが、北国青森に木綿布が普及した時代でもあろう。同じ青森県でも都市部、城下町、商業地域には、これらのドンジャが遺されていない。遺されているのは、農、山村地帯である。本州の北端、青森県内に於いても、麻布衣と裂織が遺されている地域は限られている。綿花が栽培されぬ寒冷地、青森では、米を中心とする貨幣経済の暮らしをした人々は、江戸時代より木綿衣、木綿布を求めることが出来た。しかし自給自足を強いられた山村の人々は、麻布衣を纏い、稗、粟を常食としており、米を日常的に食べることはできなかった。稲作、米の文化とは言い切れぬ地域もあったことを、私達は認識しなければならない。それ故に、布を大事にした裂織もなされたのである。 青森の山村の中に「せんたく渡し」という行事がある。嫁いできた嫁に、すぐに衣服を管理させないで、二〜三年生活の様子、性格を見定めてから、姑が嫁に針と糸を渡す行事である。せんたくとは、「衣服」のことである。衣服は大事なものだった、例え、息子の嫁であっても、すぐに家族の衣服に手をつけさせなかったのである。嫁が針と糸、布を手にして、初めてその家の家族になるのである。 裂織にこめられた想い
「裂織の中に封じてしまう」、裂織のドンジャ、布団、コタツ掛け、着物等に、かっての娘達の様々な想いが封じられている。現代の裂織には、どんな想いが込められ、封じられているのだろう。 (北海道・東北民具学会会長)
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