全国裂織ニュース21号
 

青 森 県 の 織 機
田中 忠三郎

ねまりバタ 麻布1反を織ると1本の麻糸をマネキの一部分に結びハタ神様とした。
 布への想い 
 私は布を手にして、縫うことも刺すこともできない。ましてや織機を操ることなぞ、到底出来ない。そんな私が何故に布を語り、織りを語るのだろう。それは布に対する想いがあるからだ。
 今から50数年前、私は考古学が好きだった。その頃、縄文時代の遺跡としての手がかりは、耕作されている畑地だった。畑地は春から秋にかけて様々なものが栽培されているので、雪が降り出す初冬から春までが、私の遺跡発掘の日々だった。畑地に積もる雪を掘り分け暗い地下深くにある遺跡を素手で無我夢中になって掘っていた。冬の夜の畑地は体中が凍え、シャベルを持つ手もかじかむが、地下からは素晴らしい縄文土器が出土する。その喜びは例えようのない程であるが、少し手を休めると、寒さのために体が震えた。そしてこの寒い冬を縄文時代の人々はどう過ごしたのか、想いを馳せるのであった。
 「人々は原始的な毛皮を纏っていた」という説もあったが、冬は毛皮でも良いが、夏は暑い。また素晴らしい紋様のつく土器を見ると、これ程造形感覚の鋭い人々が、粗末な毛皮を纏うはずがない。美しい衣で身を飾っていたと思った。そんなことで、縄文時代の衣に関心を注ぐこととなった20代だった。
 発掘調査を10年間で終え、身近にいる姥や古老から昔の衣の話を聞こうと、尋ね歩く日々が続いた。その過程で、昔、麻やアイコ、苧麻(からむし)等を糸にして地機で織り、衣を作っていたことが分かった。私はそれらの衣服の資料を織機を求めて、青森県内の山・農・漁村を歩き廻った。昭和40年代である。

青森県の織機 
 衣に関するものを調査、収集してみると、多様、多岐にわたることが分かった。そして織機(ねまりバタ)が150台も集まった。それを分類すると、青森県の太平洋側(旧南部藩領)には斜形式が少なく、水平式のものが多い。その基本的な型は同じでも、織る方の体型に合わせているので、大小様々ある。また日本海側と下北半島には斜形式が数台あったが、日本海交易で木綿布(古手木綿及び綿糸)が早く入ったのか、明治末期には織機が生活の中から消えていた。その反面、旧南部領、岩手県北部を含めた地域は、大正初期まで麻布織り、仕事着を作っていた。麻布作りが終わった大正末期から昭和にかけて、裂織のコタツ掛けを作ったので、織機が残っていた。ただし仕事着としての裂織はなされることもなく、丹前状のドンザが作られていた。
 青森県内の織機から衣に関わる変還をみると、津軽地方の田園地帯(日本海側)は、麻布衣作り(麻糸のこぎん刺し)が明治の中頃で終わった。一部、海岸沿いの漁村で大正末期まで、仕事着の長着、短着の裂織を作っており、数台の織機が遺されていた。(昭和50年代)
 南部領は、畑作地帯である。古くから麻布を織り、少しの現金収入を得るため、昭和10年代にも麻の布(都会で夏服に使用)や、畳のヘリ等も織ったので、織機が多く遺された。また織機でも水平式の地機以外に原始機と称されるものもあった。経糸を長くして、樹や家の柱に結びつけて、座って両足を投げ出して織る道具である。古老と姥の話では、そのような簡単に織る方法もあったと言う。現在、それらの道具は筬と杼のみ残されているが、正に弥生機(弥生時代)と思われるものであり、今に遺される北海道のアイヌの人達の織機と同じである。

紡織用具たち

 また糸を縒る場合、一般的に認識されているのは糸車を使用するが、糸車を求められぬ人達はツム(紡錘車)を使った。着物の裾の片方を開き、素肌の膝の上でツムを回して糸を縒っていた。このツムではないかと思われる土製の丸型のものが、縄文時代の遺跡から出土している。
腰を地につけて織った

 現在、私の倉庫に織機150台と紡織用具である整形台、糸車、ツム、ガワ、杼、筬等が500点、麻糸と麻布、麻布衣等3000点が保存されている。そのうち「こぎん刺し、菱刺し着物の刺しこ着一括786点」が国指定重要文化財として保存され、紡織用具560点が青森県指定文化財になっている。

「衣は身を守って下さる」
 さて、不思議なものである。20代の始め、縄文遺跡に魅せられて発掘し、その中で北国の厳しさ、寒さに脅える中で「衣」を考え、衣に対する想いが、衣の調査と収集に繋がっていった。北国の凍てつく冬の日々、寒さがどんなに怖く、身に凍みるものか。それを知ったからこそ、私は衣の重要さと衣に対する想いが募ったのである。「衣は身を守って下さる」と、数多くの姥が私に話して下さった。それ故に麻布の小布(こぎれ)、1本の糸さえも大事にしていたのである。
 私は想う。北国の寒さ、厳しさを知ったからこそ、私は衣を語ることが出来るようになった。今、私の倉庫に眠る織機と麻布衣、刺しこ、裂織、つづれ等を作り、着た姥や古老達は、もうこの世にいない。しかし、その方々がこの現代の衣服の豊かな世を「よかった、よかった」と言う喜びの声が聞こえてくる。そして「衣服を粗末にすることは、心をも粗末にする」と話していた姥達。今、人々は豊かな衣に恵まれ、美しく着飾り、寒さも暑さも知らない時代である。冷暖房の完備した家に住み、幸せであるが、「どんな時代になっても心を粗末にせず、物(食物も含む)にも人にも『やさしく』しなさい」と古き衣は語りかけて来る。私が衣を調査、収集して、ただ一つ知ったのは、この世を去った姥や古老達の『やさしさ』である。厳しい北国の風土の中で衣を自ら作り、大事にした人々は、いたわりと、『やさしさ』がなければ生きて行けなかったのだ。
   (北海道・東北民具研究会会長)