暮らしに創造ある手仕事を

深 堀  習

“裂織って何?”という質問を、第一回展の前にずいぶんたくさんの方から受けました。そして、本当にたくさんの方たちの力が集まって、第一回全国裂織展が実現したあとには、“裂織ってこういうものだったのね”とか、“裂織のイメージが変わったわ”とほとんどの人が言ってくれます。第一回展が6日間に全国から5千人にもの観客を集め、またその観客を感動させるだけの内容をもっていたということは、すごいことだと思いませんか。大袈裟にいえば、私たちの意識しないところで、現代の裂織の歴史の一ページがすでに開かれていたとも言えるのではないでしょうか。
私は織ることには全く無縁でしたが、全国裂織研究会を立ち上げる中心に立つはめになって、T研究所の一週間の織り入門講座を受講してみました。これから一層たくさんの資料や作品に接するにあたって、基礎知識を身に付けておきたいと思ったからです。でもその結果、予想もしていなかった大きな収穫がありました。「織る」ということは、単純に織り機に向かって糸を操作して織ることとしか私は考えていなかったのです。が、まず何を織るかを決め、それに基づいて「織りの設計」をし、糸量を計算し、整経、機仕掛けにいたる作業があって、初めて織り始めることができる。つまり「織る」全体作業の6割ぐらいがまず設計と準備段階として、織り作業の前にあるということが、実感できたということなのです。つまり、またそれは技術だけの問題ではなく、大変創造的な手仕事であるということがよくわかったということでもあります。
第一回展の入賞者は例外なく、裂織の前に紬とかスウェーデン織りとか何か糸織りを4〜5年以上経験した上で裂織を4〜5年以上している人たちでした。その理由が、織り入門講座を受けてみて、はじめてわかったように思います。創造的な手仕事としての織をよく知り、あらゆる織りの技術を駆使し、裂糸の特性をいかした裂織ができたという、当然といえばあまりに当然のことなのです。それにその制作過程をじつに楽しんでおられます。
小紙創刊号に富山弘基顧問は指摘している。「裂織の創作指向はまだ緒に就いたばかりである。」「裂織には“布を裂き、糸にして織る”という原則以外に何の制約もない。また、制約を加えるべきでもない。これほど伸び伸びとして、自由な発想で創作できる手織物はそうあるものではない。裂織はこれからよりいっそう限りなく進化をし続けると、期待を膨らませている。」
消費ブームが去って、あらためて本物の暮らしを探る時代を迎えて、裂織はその一角を担おうとしています。全国裂織研究会がより広い情報を提供し、ネットワークを広げ、伝統に根ざしつつ現代の裂織文化の興隆をはかっていくために、みんなの智恵と力を合わせていこうではありませんか。

裂織の可能性 −へザ−・アレン氏の講演によせて−

中 野 恵 美 子

ホテルの一室の床に、赤、オレンジ、ブルー、グリーンとカラフルなラグ(敷物)が並ぶ。なかにはニワトリや大きなネコのモチーフもある。いかにもアメリカ的な明るい雰囲気である。昨年夏、カナダ、バンクーバーで開かれた「世界織物会議」のひとこまである。スーツケース、ダッフルバッグ等にいれて車で運んで来た裂織作品を一人一人が順番に広げてそれについてコメントをしていた。中にはインドのサリーを裂いて織り、上着に仕立てたものもあった。その上着を「誰か着てみない?」というリーダーの声に手をさっと上げて身にまとい皆の前を歩いていた女性がヘザ−・アレン(Heather Allen)氏であった。
「現代の裂織」(Contemporary Weaving Rag Rug)の著者であるアレン氏にお会いするのが同会議への参加目的の一つであったので「裂織の再発見」というタイトルのセミナーの受講申し込みをしていたがそれに先立つ出会いであった。
彼女のセミナーではスライドにより世界各地の様々な裂織−勿論日本も含む−が紹介され、さらには色々な可能性が紹介されていた。彼女自身の語り口も楽しく、いかにも裂織を愛している様子がダイレクトに伝わってきた。単に裂織にとどまらず、シルクスクリーン等の布の表面加工に対する技法も様々に展開させ豊かな表現性を有している。講演後彼女と色々話すうちに来日の予定があるのを知り、是非日本の裂織関係者にもお話をということから10月の講演の実現に至った。
布を裂いて織るだけが「裂織」ではないことは自明のことであるが、では「裂織の可能性」というとどういうことがあるのであろうか。
裂織を昔から行なっている地域では確たる方式があるであろうが、布への愛着、身近な人が使用した布を生かしたいという思いから裂織となったり、織から入り、素材の一つとして布を選び織りこむ場合もある。後者の場合はことさら裂織とは意識はしていないであろう。いずれにせよ、材料を慈しみ、その素材が生かされることに留意し、工夫することが求められる。また仕上がったものからその姿勢が伝わる。作業だけが「創る」ではなく創意工夫があってこそ「創作」となる。布を素材としてどのようなことが出来るのであろうか。そしてできたものでどんな世界が繰り広げられるのであろうか。作者からどんな話が伝わってくるのであろうか。裂織でできる世界に対して、その創意工夫をどのように世界の人々はしているのであろうか。ヘザ−・アレン氏の講演からその辺が伝わればと思う。そして制作へのよすがの一つになればと思う。