第一回全国裂織展への期待

中 野 恵 美 子

 布を裂くと鋭い音、鈍い音様々な音がする。さながら布の悲鳴のようでもあり、叫びのようでもある。布に命があると感じる。その裂かれた布を織り込むと、そこには新たな世界が始まる。模様として存在していた色や形が、単に色としてしかも染め出し得ない姿で渾然一体となって様々なハーモニーを生み出す。布が輝きをもって生き返る。裂織の楽しみの瞬間である。
 かつて、布が貴重な時代には使い古した布を重ねて縫い合せたり、細く裂いて織り込んだりと最後まで布を慈しみ大事にしていた。翻って物余りともいえる二十一世紀の今では、新たに環境問題が生じ、資源問題も含めてリサイクル(再利用)が大きくとりあげられている。人々の関心がリサイクルに向けられるようになったのはよいことだが、その行為が単に物の廃棄の時間を先伸ばしにするだけであってよいはずがない。リサイクルに対し日常の中でも種々の研究、工夫が見られるが、再利用を越えて、ものの命が再度生まれ変わる、つまりリライフ(再生)であってほしい。その視点で各地に残る裂織をみると、先人が既に生活の中で行っていたことに、あらためて目を見張る。
 裂織は一度織られた布を素材にして新たなものをつくる。そこにはエネルギーの重層がある。布が使用された時間も取り込まれる。布の使用者に対する思い出もあろう。それらの様々なものが織り込まれて豊かな世界が繰り広げられる。さらに今という時代だからこそというものが生まれたら素晴しい。 今回、第一回の裂織展が公募の形で開かれることになったが、単に布を裂いて織るから裂織ではなく、裂いた布を織るからこそ生まれる表情を大事に、独自な発想、豊かな創造力、遊び、工夫のある作品を期待する。又、これを契機に、日常のなかでの創作行為、そしてものを大事にする心が広まっていくことを切に願う。(審査員)
裂織りに寄せて
無意識と意識 偶然と必然

笹  山  央

 裂織りには布を集めるということが第一段階としてある。古道具屋さんや骨董市でまとめ買いをしたり、古布を求めて旅をしたり、知り合いのネットワークで送ってもらったりと、布が手元にまで届いてくる経緯は様々であるが、それぞれになにがしかのストーリーがあるにちがいない。集めた布を一枚一枚手にして、古い布の来し方に思いを馳せてみる。どこでだれがどんな思いでこの布を織ったか、どんな人の身を包み、あるいは暮らしの一こまを飾っただろうか。そしてどんな人生をこの古布は見てきただろうか。そのようなことをあれこれ想像しながら、布の感触を五感に染み渡らせていくのが第二段階である。
 布を集めそれを手にするところから、裂織りはすでに始まっていると言えるだろう。布が持つ時間の厚みに、織り手の思いをどのように絡めていくか。それらが交錯していくところに、古い布が新しい布に生まれ変わっていく機微があると思う。
 無意識と意識、偶然と必然が織り合わさって、裂織り独特の美しさが生まれてくる。貧しさとか、生活の必要に迫られてといったことだけでなく、また、日々の厳しい労働で気持ちのゆとりもなく無意識のうちに織られたというばかりでなく、織り手はその美しさをはっきりと意識していたはずである。
 私たちが古い裂織りの仕事着を見て感じる美しさは、そのまま織り手が感じとり、工夫して織りあげた末の美しさである。偶然だけではない。布に対する女性独特の心のときめき、家族への思いやり、美しいものへのあこがれ、それらの感情を、与えられた素材と許された自分の時間の中でかたちにしていこうとして、どのように織り込んでいくかと思い悩むことをもひそかな楽しみに、織っていったにちがいない。彼女たちは、そして織られたものを受容する人たちも、それが「創作」だというふうには少しも思っていなかったにすぎない。
 裂織りは現在、実用の仕事着として織られるようなことはなくなったが、ファッションや織りによる表現ジャンルとして再生がはかられようとしている。しかし創作の方法としての裂織りの再評価も、裂織りの技術と文化を保存し継承していこうとする人たちの活動がベースにあって、人々の知るところとなるのではないかと思う。そしてどちらの行き方を選ぶにしろ、裂織りを織ってきた先人たちの、布に寄せる思いや、厳しい生活の中でも美を見出していこうとした気持ちの在り様を、出発点として共有する点では同じだと思う。
 布と出会うことの偶然と必然、この時代に生きていることの無意識と意識をどのように折り合わせて「布のかたち」を創っていくか、この問い自体は昔も今も変わらない。(工芸評論家)