裂織ワンダーランドへようこそ

八 田 尚 子

 十年ほど前、はじめて「裂織」のことを知ったとき、まあ、たいへんな織物に出会ってしまった、というのが率直な感想でした。
 ヨコ糸として裂いた布を使うがゆえに、微妙に色が重なり合い、また、独特の落ち着きとぬくもりのある織り布が生まれます。その美しさに感動するとともに、いったん織った布を裂いて、再び織る手間をかけるのはなぜなのか、不思議に思いました。
 そんな疑問から調べ始めると、裂織とその周辺にはワンダーランドが広がっていました。
 小豆三粒包める布は捨てない、捨てられないというほど、衣料素材の乏しい暮らしがあったことは、戦後世代の私にとっては驚きでした。さらには、つい最近まで、裂織が暮らしの必需品だった土地が全国各地に点在していることを知り、訪ねてみたくなりました。
 拙著『裂織の本』(晶文社 二〇〇〇年刊)は、「着る」ことのいとなみから書き起こし、現代に息づいている裂織と、裂織に魅せられた人々の話を一冊にまとめたものです。
 本の刊行をきっかけに、古布や裂織に関心をもつ方々が大勢おられることを改めて知り、その思いの深さに感銘を受けています。
 この本を読んでくれた知人から、こんなE-メールが届きました。
 コオロギの仲間に、ツヅレサセコオロギというのがいるそうです。その鳴き声は「肩させ、裾させ、ツズレさせ」と聞こえ、昔の人はこの虫の音に促されるように、衣類の繕いものなどの冬支度を急いでいたのだとか。知人はそれまで、「ツヅレさせ」の「ツヅレ」とは何か、皆目検討がつかなかったのですが、じつは裂織のことだと知って、ようやく合点だいったそうなのです。
 ツヅレサセコオロギのことは、私には初耳でした。知っていたなら本で触れたのにと、少し悔しい思いです。それとともに、裂織を通して、まだまだ思いがけない発見や出会いがあることにワクワクしています。裂織ワンダーランドの新たな幕開け、初めての「全国裂織展」期待しています。(フリーライター)

裂織の可能性
第一回全国展に寄せて

辻 け い

 昨年、盛岡市に岩手県立美術館が完成し、開館を記念して野外スペースに作品をつくる機会を得た。作品はいわば在来工法を使った古典的な土蔵のようなものになった。内側をベンガラを主体とした「赤」に塗り込め、外側は土壁で出来ている「土蔵」で、コンセプトとしては、中に差し込む光と、空間をスリット状にした断面から入る風を感じてもらうものに仕上げた。作品完成まで度々の盛岡訪問と大工さんたちとの共同作業を通じて、私の中には岩手県の土着の技術や伝統に対する興味が強く意識されるようになった。もともと私の作品の中心を構成しているのは、「染め」と「織り」である。その「染め」と「織り」を使ったインスタレーションやフィールドワークで世界の様々な場所や人々と出会ってきたが、盛岡に於いても「染め」や「織り」の延長上に、土着の伝統性に興味をもったのは当然といえば当然であった。その最も強い興味の対象になったのは「裂織」である。一時は土蔵の中に何とか「赤い裂織」を取り込もうと思ったが、“単色で強烈な赤”を表現するためにはややデザイン化が強すぎると感じ、とり止めた。「裂織」に魅せられたのは、「織る」ことによって強い「面」の構造をつくれると思ったからである。結局土蔵は「裂織」に替わってボロ(50年位前の物)の、しゅろ縄を繋ぎ合わせ構造を作ることになった。
 かつて東北の人々は、そのほとんどが麻を主体とした衣服から寝具まで使っており、それは保温効果を考えると極めて劣悪なものであったと想像させる。そこに、やがて布地を扱う商人たちが、綿布の販売や中古の布を持ち込むようになり、麻に綿を刺す技術が生まれ、人々は綿布によって寒さから身を守り、他方で丈夫な布地が出来上がっていったのである。「裂織」もこうした状況から生まれた。いわば生きるための知恵であったといってもよい。面白いのは、人は寒さから身を守るにとどまらず、「刺す」にしても「織る」にしても、そこにやがて美しさを求めるようになる。簡潔な言い方をすれば、人々は貧しさや実利と共に、そこに「美」をみいだす存在なのだ、と。民衆の悲しみや苦しみの時代と共に、その中からでも必死に「美」を求める姿が見える。魂の響きは、時には美しい音楽を感じさせる一枚の絵のようにも見える。今日、様々な「裂織」の作品は、豊かな時代の中で、「作品」や「美」になり貧しさや苦しさは感じられないが、それも「時代」である。しかし、美しさは時として人々の長い物語が背景にあり、生きるための知恵が人々を感動させるのである。それは一枚の布、一本の糸に込め
られた人生への愛情でもある。今日の「裂織」の世界にも新しい物語が必要ではないか、と思わざるを得ない。(美術家)