初めての全国展実現!

富 山 弘 基

 待望の公募による第一回「全国裂織展」が、いよいよ東京で今秋開催されることになった。かつては日本列島の津々浦々で、古布を慈しむ人たちが、着古し襤褸となった一尺の端裂をも無駄にすることなく、自らの手で裂地を裁って糸となし「裂織」という名の織りのもとに、新たな生命を誕生させた。そこには風雪に耐えてもなお逞しい庶民の魂を宿していた。
 いったんは途絶えたかのように姿を潜めたが、東北地方をはじめ、佐渡、信州、出雲など各地の村や町で伝承する人たちがいた。こうした人たちの永年の努力が実を結び「裂織」は再び息を吹き返し、今日では古典的な裂織から現代ファッション、現代アートの分野においても裂織が生かされる時代を迎えている。
 裂織に魅せられた愛好グループの深堀習さん、山下順子さんを中心に、数年前に裂織研究会が発足した。その活動の中から「全国裂織展」が提案された。東京都目黒区美術館長の福永重樹先生も現代美術に視点をおかれながら、庶民の根元的な生命感を裂織に見出され、日本の公募展史上に最初となる「全国裂織展」の趣旨に賛同して、準備会議に、多忙な時間をさかれていた。
 しかし「現代日本の版画展」のメキシコ・グァナファ市開催のため、昨年七月下旬に日本を発たれた先生は、現地のイベント会場において倒れられ、病院での治療も効なく不帰の人となられた。後日、奥様よりの挨拶文には「夫は常に懸命に努力する人であった」との意を込めた言葉があった。
 東京は築地の生まれであった先生は国立京都近代美術館、大阪の国立国際美術館と京阪での暮しの方が長く、また内外の染織にも理解を示される美術界では希有な存在であった。ご存命であれば「全国裂織展」の実現をどんなに喜ばれたことだろうか。
 裂織には数百年の織の歴史がある。これからも人から人へと継承されて、織物の世界に「裂織」ならではの美を創造して行くことだろう。第一回の「全国裂織展」も回を重ねて裂織の新境地を拓く、大切な役割を果すことを期待してやまない。(染織と生活社取締役主幹)

裂織の原点への旅

今 村 賢 司

 私が愛媛県佐田岬半島の裂織に出会ってから約五年がたつ。この間、博物館学芸員として、その資料収集、調査、展示公開などの諸活動に取り組むことができたのは貴重な経験であった。
 ふり返って見ると、佐田岬半島での裂織の現地調査は私にとって裂織の原点を探る旅でもあった。調査では私自身が実際に裂織の衣服を着て、集落をかけまわり奇異の目で見られたり、古着商の押し売りと勘違いされたこともあった。しかしそこには、多くの人たちとの出会いがあった。裂織の製作者であった明治生まれで九十歳過ぎのおばあちゃんに、裂織の上衣を持参すると、まるで我が子に再開するようにしきりに懐かしんだ光景や、昔海士をしていた体の大きな老人は、「こいつを着て大分に行ったら鎧といわれ冷やかされた」というエピソードを誇らしげに語ってくれた光景。また、半島の裂織をなんとか残したい一心から、その製作活動に取り組む政木吉春さんの製作光景などは忘れられない。
 この調査で強く印象に残ったことがある。それは裂織の世代であった人たちの裂織に対する考え方であった。「過酷な労働から身体を守ってくれたありがたい衣服」「半島の人のモノを大切にするカンベン(質素倹約の意)の心の象徴」とする感謝の念や敬意を表わす人、一方「貧しかった生活を思い出すのでもう見たくない」とする経済的貧困の象徴と見る人もいた。
 私は当初、裂織の衣服の形態や材質、織模様など表面的な特徴に関心を奪われがちであったが、実際に裂織とともに生きた人々にとって、それは厳しい生活環境にあった半島で生きていくためのわざ、かけがえのないツールであり、裂織の記憶が人々の心に深く刻まれていることを痛感した。
 私は裂織の原点への旅で、人々の裂織へのさまざまな想いを知り、裂織がその地域で果たした歴史的な重みや、生きていくことの尊さを学んだように思う。
 現在、愛媛県歴史文化博物館には、約百点に及ぶ佐田岬半島の裂織のコレクションがある。これらはみな素朴な美しさの中にも半島の人たちの力強さや賢さが込められている。裂織の二一世紀の可能性をさぐる上でも、これらの資料を多くの人に見てもらい、できることならその現地を訪ねてもらいたいと切に希望する。原点を訪ねる旅に出かけてみてはいかがでしょうか。(愛媛県歴史文化博物館学芸員)