整理された裂糸見本に感嘆
A4版書類用のプラスティック・ケースが、本のように立って並んでいる。およそ25ケース。ひとつひとつに、大きなビー玉くらいに巻かれた裂糸見本が、色系統で分類されて入っている。その数、800個以上。正確には数えたことはない。それぞれの見本に対応する裂糸は、別の引き出しに収まっている。「見本のケースを見れば、どこにその裂糸があるか分かっているの。25年以上裂織をしてきたけれど、13年間は布を裂いていたわね。曇りの日、蚊のいない季節を選んで、庭に出て。歳をとったら、布を裂く体力がなくなると思って、3年間、ひたすら裂糸をつくった時期もあった」。この根気強い裂糸作りへの取り組みが、膨大な数の裂織作品を生み出す根元となっている。
公募展第2回全国裂織(2004年)で、大賞に選ばれたタペストリー「花壇」を覚えておられる方も多かろう。微妙で落ち着いた色合いの部分部分が、丁寧な作業で織り込まれている。全体が絶妙なバランスを醸し出した味わい深い作品は、会場で見るものをうならせた。今回恒松さんのお宅を訪ね、それはこの裂糸見本からの展開だったことを知った。作品設計のためのノートを見せてもらった。色鉛筆で作品をスケッチしたページの隣には、裂糸見本を並べて貼り、配色を工夫した跡がある。何のために、何を、どのように織るか。目的を持って、緻密な計算がされる。裂糸見本を並べ、作品の構想を思案する。そして、午前中の2時間と午後の3時間、機に向かうのが日課だ。ノートの記録によると、1993年以降に創られた作品は、大小あわせて1000点を越え、機に経糸をかけたのは、500回近くになる。
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作品設計ノート
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裂織への誘いと取り組み
恒松さんの大事な宝物がある。黄ばんだ新聞の切り抜きだ。1970年代の終わり、新聞の家庭欄に紹介された記事には、当時90歳で裂織をしている竹内つるさんが、凛とした姿で載っていた。「裂織は、こんな年齢になるまでできる」と感動し、切り抜いたという。それを改めて思い出したのは、夫の転勤で仙台に引っ越した30歳代の終わりである。「仙台で、教室を開いていないでしょうか」と、南部裂織の菅野映子さんに連絡して尋ねたり、自分でカランコ(卓上機)を見つけたり。こうして、裂織を始めた。10年間続けた後、東京手織機の高機を購入。友人から、簡単な機の扱いの手ほどきを受けただけで、ほとんど独学で裂織を続けてきた。
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| 織りをする場所。お気に入りの小物を入れる陳列棚。奥の棚の中ほどに、使い終えた糸ボビン(木製を指定するという)が捨てられずにとってある。その数、百数十本。 |
周りの年寄りからは「若いのに裂織をするなんて、偉いのう・・・」と可愛がられ、口伝えで、「明治時代やそれ以前の古い着物だけれど、役にたつなら使って・・・」と、材料の着物が集まった。それが裂糸見本になっている。「独学でやってきたというのは、哀しいことですよ。裂糸を作るのに、鋏やロール・カッターの利用が便利なんてことを知ったのは、最近のことなんですもの。どこかのグループに属したり、お仲間がいれば、いろんなことを、もっと早く知ったでしょうに・・・」。こうした試行錯誤の20数年が過ぎ、前述の公募展の大賞になったのである。
「花壇」は娘のために織ったので、その後、息子のために「居久根(いくね。仙台周辺では、防風を兼ねた屋敷境を指し、木々との共生をも意味する)」を織った。共に、正方形のパターンが整然と織り出されている。機に向かう恒松さんの几帳面な人柄と、いい加減にしない気持が溢れている。四角のパターンを好んで織る恒松さんに、友人は”直角症候群”とあだ名を付けたという。言い得て妙だ。
2004年11月には、仙台博物館で個展を開き、100点を超える作品が、周囲を驚かせた。「搬入を手伝った家族ですら、”まだあるの?”と、作品の多さにびっくりしました。個展をきっかけに、周囲の目が変わりましたよ。普通の主婦の私が裂織をしていることを、ほとんどの方は知りませんでしたから・・・」。公募展と個展は”箱入り娘ならぬ箱入り主婦”が、裂織の世界で注目されるチャンスとなった。
段ボール箱に入っている着物は、ただのボロに過ぎないが、裂糸になれば生きてくる。着物は丸洗いして、汚れがある袖の角や裾の部分は、捨てて裂く。布を裂くときには”裂いてごめんね”の気持ちだ。だからこそ、裂いた布を作品にしないと悪いと思う。誰も織らないものを、素敵に織ろうと考える。誰かのものを真似するような織りはしない・・・。語られる言葉の端々に、裂織に対する恒松さんの妥協しない姿がにじんでいる。「ときどき見本ケースを広げ、ニターッと笑って、裂いた着物の枚数に、”私って、なんとすごいんだろう”と思うのよ」。そこには、自らを客観視して、叱咤激励する恒松さんの努力が透けて見える。
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| 20箇をこえるプラスティックケースに色系統別に分類されている裂糸見本。それぞれの裂糸は、別の引き出しに収められている。 |
裂織主婦は忙しい
玄関を入ると、マホガニー色のクラシックな飾り棚の上に、裂織を始めたころの細長いテーブル・ランナーがかけられて、切り子硝子のコースターが並んで置かれている。文様が効果的に浮かび上がっている。「ここ、ちょっと面白いのよ」。悪戯っぽく開いた扉の中には、梅酒の瓶が並んでいる。織端布をいくつも利用した小さなタペストリーがある。糸が切りそろえられたのが愛らしい。
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リビングのソファのカバー。月ごとに替える。これは7月バージョン。
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居間に入ると、ソファに、真夏の空や海の輝きを連想させるカバーが掛かっている。後で案内された部屋に、1月から12月までのソファ・カバーが1段毎に棚に並んでいた。7月バージョンのカバーは、居間に出張中だから棚は空いている。棚や引き出しに収められている座布団、敷物やタペストリーなどは、それぞれ居場所があって、模様は同じ向きになるように重ねられている。なんという整理整頓の徹底だろう。自分の裂織作品を、月毎に、季節毎に、気分によって、来客に合わせて、インテリアとして登場させる。「だから、とても忙しいのよ。バカみたいね。夫は、変えたことも気が付かないのに・・・」と、笑う。
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| 月替わりのソファ・カバーの収まった棚。右側には座布団、クッションが出番を待っている。 |
裂織人の育つ環境と背景
ところが、夫の源人(もとひと)さんが、妻のために、膨大な作品を保管する棚(引き出しのように出し入れが工夫された棚)や、機の周辺の小さな道具類を造っているのだから、お惚気を聞いた気分になる。
スッキリとした室内の空間は、心地よい。50歳と60歳になった2度、思い切って、膨大な生活用品を処分したという。「半分に減りましたよ」という潔さに、感心する。無駄な物は持たない主義だが、気に入った品々は捨てられない。裂織を続けてきた証の木製の糸ボビンが、木箱に百数十本も並んで、機の傍の棚にある。そんな好きなものに囲まれた居心地のいい空間に、恒松さんのこだわりが感じられる。仕事から帰ってくる夫を迎える時間になると、掃除機をかけて、織をしていた痕跡は残さないというから、主婦の面目躍如で、以て銘すべしである。
恒松さんは秋田生まれで、特に祖母の影響を受けた。「仕事はすれば覚える」という、厳しい人だった。この言葉は、最近になってやっとわかったという。若い頃、仕事(主に手仕事)は、教えられて覚えるものだと思っていたのだ。だが、優しい心の人だった。恒松さんを知る人は、たおやかで穏やかな人柄に惹かれ、やがて、筋の通った内面の強さに気づく。人格形成期の家庭環境の故だろう。エピソードがある。恒松さんは結婚する時に、小さい時から遊んでいた市松人形を連れてきた。愛着のある人形を手ばさない恒松さんに、周囲の人からは呆れられ、おこられたという。「いくら大事だといっても、考えてみるとこわいよねー」と、ご本人もいう。祖母は、嫁ぐ孫娘のために、人形の着物の下着を新しく縫ってくれた。思い出の品々が収まる棚に、恒松さんの人生を見守っているかのように、鮮やかな袂の色をのぞかせる人形がある。
暮らしの隅々まで貫ぬかれている美意識、マニアックといえるほどの整理整頓が、裂織へ妥協を許さない集中を生み出し、恒松さんの作品が生まれている。優れた裂織作品の背後には、作品と切り離しがたい裂織人の生活がある。そのことを痛感した訪問だった。
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