本業は美容師さん
店の一隅に機が置かれている。客が途絶えるひととき、それに向かう。織りとはまったく関係のない美容院で、織りをするのは男性の美容師である。本業に勤しみながら、織作家の顔を持ち、裂布の組織織(そしきおり)の啓蒙のために情報誌を出している。そんな小木美光さんのことを聞いて、「一体どんな人だろう。異色の裂織人に違いない」と、興味を持った。
中央線中野駅から徒歩数分。花園町内の坂を下ると杉並区になる。そこに美容院があり、黒に黄色をきかせたデザインの自転車で到着したばかりの小木さんの姿があった。美容院の休日に”工房”を訪ねたからだ。入口を入ると、大作のタペストリーがかかっている。窓越しの明かりの中で、組織の模様が浮かび上がって美しい。椅子に収まっているクッションやカバー。自ら縫製した数々のバッグ。美容院特有の大きな鏡に、機の置かれた一隅が映っている。織工房の雰囲気が漂い、同時に、美容院でもあるという不思議空間だ。
小木さんは、北海道の北見が故郷で、昭和23年に生まれた。人生の半分以上は、東京で暮らしている。学業を終えてサラリーマンになったが、1年も経たずに自分には向いていないと、自覚したという。手に職を持つ仕事に就きたいと決め、美容師学校で学び直す。それが、現在につながる本職になる。美容師として客の髪を美しく整えて仕事に満足しても、形には残らない。それが残念だった。手仕事には興味があるので、形にして残すことができるのではないか。そんな願いを模索する過程で、手織りに出会い、”三田ウイービング・スタジオ”で、織りを学んだ。
裂布の組織織を自作の機で
織りを始めて、”組織織”が面白いと気づいた。北海道の出身だから、当初は羊の毛を紡いでホームスパンを手がけた。「これが非常に手がかかるんですよ。家の中の作業ともなれば、埃は出ますし、臭いが凄いです」。これでは長続きしない。もともと呉服に関心があったので、やがて裂布を使う組織織を始める。人の手で裂く布は不均等で、ホームスパンの紡ぎ糸に通じている。「ほどいた胴裏を洗ったあと、濡れた状態で6〜7ミリ幅に横に裂き、さらに縒り機にかけます。この幅に裂けない布は、使いません。店で作業するので、埃が出ないようにと、濡れた状態で作業をしているのです。裂いた布は端でとまりますから、織ると、紡いだ糸のようにポツポツと出ます。これが手仕事の味わいになりますね」。そう説明しながら、実際に濡らした布を裂いて、見せてくれる。気さくなお人柄だ。
裂布で組織を織る人があまりいないということにも、興味を持った。「裂織の作品には平織が多いですね。それに組織織を取り入れて、裂織の可能性の広がりを狙ったのです。織りをする人の中には、組織を敬遠する向きもあるらしい。でも、組織織を経験しないで、組織は難しいという人は困ります。やってみて言うのならね」。「自分で織る裂織を、ボロ織というのは、嫌いです。自分が織る材料をボロというのはね。ボロじゃなくて、織る材料なんですから」。言葉の端々に、小木さんの美意識がのぞく。
布を裂いて糸に戻して織る布。その表情を一変させる織の力の不思議さの虜になって、とうとう組織を織るための機を、自分で造る。店にある機が、それだ。綜絖は4〜8枚、踏み木は10本まで、自在に変えられる。織りあがった布を巻き取る心棒の端の菊歯車には、自転車のギアを利用している。縒りかけに使う道具が壊れてしまったので、自転車の部品を使って自作している。「ペットボトルを利用して、縒りをかける糸巻を作りたいと考えているんですよ」。身近にある材料を工夫しながら、織を楽しむ姿に、飽くことなき美への執念が伝わってくる。小木さんの裂布組織織のタペストリーは、全国裂織公募展の第1回から、連続入選している。
情報誌「新・裂き織り通信」
組織織の裂織情報誌を、隔月に出している。途中、休みの期間があったが、通算して6年目になる。機の横に置かれたコンピューターで組織図を設計し、裂織の組織織作品を自ら仕上げる。それをもとに、組織図や写真を添えて解説した内容は、懇切丁寧だ。情報を求める読者の各種の機(ロクロ式、ジャック式など)に応じて、説明されている。質問があれば、次号で答える。作品の添削もする。「学校時代に、私は勉強が嫌いでしてね。体育の時間ですら強制されるので嫌いだった。いい先生に出会わなかったからだと思いますよ。生徒にとっていい先生とは、具体的によくわかるように、やる気を引き出すものでしょうね。そうすれば、楽しんで勉強すると思いますよ」。情報誌を発信し続ける小木さんの情熱は、根っからの教育者の姿であり、生徒を育てるよい先生のそれを思わせる。