「気になる衣」展
昨秋、第10回「気になる衣」展(2005・12・6〜11)の案内状を手にしたときの、新鮮な驚き。「気になる衣」の惹句が面白かった。どんな意図で「気になる」という言葉を使ったのだろう。カラー写真で6枚の作品の部分が並ぶ葉書には、全国裂織協会の第3回公募展(2005年8月)で、大賞を受賞した羽嶋芳子さんのコートがある。もう1度見たいと、思った。
心地よい雰囲気の会場だ。裂織布の特色を活かした斬新なスタイル、染と織とが絶妙な調和を醸し出す衣服が並んでいる。6人の作家の創作意欲と技術が、作品の数々に実っている。「背中の模様や裏は、どうなっているのかしら?」と、身体を曲げて覗き込む。「よろしかったら、お手にとってご覧ください」との声。「ほんとうにいいの?」「どうぞ、どうぞ。試着なさってもかまいませんよ」。こうして、眺める作品としてではなく、身体に感じる「気になる衣」に存分に触れて、感激した。印象に残る展覧会だった。
異色のグループ
現在の「気になる衣」のメンバーは6人。裂織をするのは、嶺岸昭子さん、羽嶋芳子さん、池上ゆづるさん、小林フク子さんの4人である。3回を数える全国裂織協会の公募展に、初回から揃って意欲的に参加し、毎回、メンバーのだれかが、大賞・優秀賞・審査員賞の栄誉に輝く。2006年夏の裂織フェアには、自分の作品を裂織ショーで披露しようと、全員が申し込んでいる。
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| 自作の裂織ウエアを着て並ぶ、左から小林、池上、嶺岸、羽嶋の皆さん。 |
そんな積極的なグループ活動の様子を知りたい。ひょっとして、共通の仕事場に集まって、創作活動をしているのだろうか。だから、お互いの意志の疎通もうまくいくのだろう。そんな勝手な想像をし、裂織人4人の集まっている池上ゆづるさん宅を訪れた。ところが、想像は見事に裏切られたのである。メンバー6人は、若いときから、さまざまなきっかけで染や織に興味を持ち、教室に通い、あるいは指導する先生の工房に属し、技術を学んだ。そのときに培った人脈が、住む場所も年齢も異なるメンバーの接点になる。それぞれ自宅で織をしている。作品を発表するために「気になる衣」展を開催する。それが目的のグループ「気になる衣」の絆は、自分で納得できる織を続けることにある。
「普段は、お互い干渉しませんね。長いつきあいですから、お互いの家族のことは知っていますが、余計なことは言わないし、聞かない。グループ展のために、1年間に3点の作品を作る。それだけを決めています。今年はお正月に新年会をして、今日は取材だというので、2度目の集まり。来週、11回目の作品展の打ち合わせをすることになっています」。集まることは少なくても、お互いの創作の様子は理解でき、どんなものを織っているか、情報交換はする。
1996年1月に第1回「気になる衣」展を開き、以来、毎年開催して、2005年に第10回展を済ませた。参加者の顔ぶれは流動的だったが、2002年の第8回展以降、現在のメンバーに定着。「お互いに、気持ちが通じ合っているのでしょうねえ」と、共感しながらあいずちを打つ。「気になる衣」展は、1991年11月に、文化学院アート&クラフトセンターでの小林桂子先生の”織物組織クラス”の卒業制作展が母体となった。
「気になる」は創作の目標
「気になる」の命名の由来は、もう定かでない。羽嶋さんは言う。「私が展覧会に仲間入りしたとき、”気になる衣”という名前に、あれーっと感じました。でも、今では、とても気に入っています。他人が着ている衣が”気になる”。自分はどんな衣を作ろうかと”気をこめる”。他人にとっても”気を感じる”衣を創りたい。そんな意味合いが込められていると思いますね」。「気になる衣」展は、今では他人の評価に堪えられる、よりよい裂織創作の目標になっている。
「技術だけでなく、オリジナリティが大切ね」「物づくりの楽しさは、人に伝えられるわ」「これは受けるかなと、欲を出して創るとダメ。無欲がいいものを創る」。「飾るものより用の美を求めたい」。「プロではないが、アマチュアよりは1歩進んだものと思っている」。「織という、やりたいことをやって、日々暮らしたい・・・」。時間を忘れて、話は弾んだ。
なお、今夏のフェアで、「気になる衣」グループは、裂織ショーで中心になって活躍する話が進んでいる。今回はグループとしての取材だった。裂織ニュースでは字数制限があるので、以上までを載せた。このHP上の「裂織人を訪ねて」では、以下、各人の活躍を付記する。
付記 4人の織のキャリア
○ 嶺岸さん
小学校の6年生頃から、織りには興味がありましたよ。セルロイドの下敷きに刻みをつけ、糸を張って織ったのが最初で・・・。考古学者の叔父が集めた、古い織物が美しくて魅力的でした。結婚して、子育てが一段落した1970年頃、文化女子大の織の教授、浜野義子先生に染と織を習いました。裂織のきっかけは、先生から田中アイさんと三上ムツさんのことを教えて頂いてからです。50歳代になってから型染を学び、そこで作品の構成力を学びました。
最年長の嶺岸さんのキャリアには、8年前に夫を看取り、自らの乳ガンを克服した日々がある。3ヶ月前に、建築家の夫が設計した45年間の住まいから引越をし、新たな織への挑戦が始まっている。「やりたいことをやって、死にたいですねえ・・・」
写真は、ヘザーさんの送別会に着ていたワンピース。
○ 羽嶋さん
女子美のグラフィック・デザイン科卒業ですが、1973年の大塚末子きもの学院の夏期講座に参加して、織の岸田先生(現・東京手織KK社長)に出会いました。私は鹿児島の出身ですけれど、2回の個展をし、結婚するときには機を持ってきました。結婚後男の子3人の育児のときにも織を続け、13年前に夫が亡くなってからは、本格的に取り組んでいます。織は生き甲斐になっていますよ。岸田先生に浜野先生を教えてもらい、そこで嶺岸さんと会ったのですよ。1999年9月には、嶺岸さんとご一緒したヘルシンキ(フィンランド)で、展覧会もしました。
羽嶋さんの作品の縫製は、多く鈴木育さんが担当している。鈴木さんは、独学で縫製の技術を身につけ、織布を見て独自のスタイルを考えるという。
○池上さん
長野の松本の出身です。曾祖母が織をしていましたし、民芸への関心が高い家庭環境でした。大学卒業後社会人になってから、1973年に京都西陣の機屋さんが開校した織物学校で、織を始めたのです。学校のサマースクールに参加し、さらに文化学院のアート&クラフトセンターで、織を深めました。その後、造形作家故林辺正子さんの工房で、アシスタントを4年間勤めました。その間、小林フク子さんと一緒でした。そこで鍛えられて、今の自分の織があると思っています。現在、週の3日は仕事がありますので、夜、機に向かうこともあります。夫からは、睡眠時間が少ないと呆れられていますけれど、平気なんですよ。
時間を惜しんでの池上さんの創作の姿が伝わってくる。
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池上さんの織り工房
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○ 小林さん
18・9歳の頃、短大で織をしている様子を見て、血が騒ぎました。父の生家が会津で染や織をしていたDNAがあるのでしょう。その後、京都西陣の機屋さんが開校した織物学校に通い、池上さんとの出会いになりました。その教室では、着尺を織る技法を学びましたが、さらに、市原由美子先生の工房に通い、グループ展を7回経験しました。その後、フィンランドの織物学校のサマースクールや文化学院で学びました。そして、造形作家故林辺正子さんの工房でアシスタントとして働いた4年間は、池上さんと同じです。現在は、染織を、自宅で教えています。
小林さんの話に、池上さんが頷く。2人が一緒に仕事をした4年間に、専門家としての織作家のあるべき姿を学んだという。
4人の話を聞きながら、それぞれが、生活環境に根ざした裂織の世界に生きている。織のキャリアは異なっても、裂織が好きという共通項が、「気になる衣」展の原動力だと理解した。さらに、ここに至るまでの人の出会いの不思議さが、「気になる衣」を育てていると感じた。